よく仏陀(ブッダ)と耳にしますがそれは一体誰をさすのでしょうか。仏像のことなのでしょうか。そもそも仏陀(ブッダ)とは固有名詞ではなく「目覚めた人」「悟りを開いた者」という意味で、お釈迦様一人を指すのではなく、「三世十方(さんぜじっぽう)」の諸仏も指します。三世とは過去・現在・未来のことで、十方とはあらゆる方角を指します。つまり全ての仏様はブッダということになります。ブッダはその音を漢字に写して仏陀と記します。
お釈迦様が出家をされてから6年の凄まじい苦行をした後、難行苦行では悟ることができないと知って、ナイランジャーナ河、「尼連禅河 (にれんぜんが)」で沐浴をしました。そこを通りかかった村娘のスジャータに乳粥を頂き、元気をとりもどしたという伝説があります。そしてブッダガヤーの菩提樹の木の下で深い瞑想に入り、ついに悟りを開きました。お釈迦様はこの時35歳でした。
真実に目覚めたブッダの智慧をインドの言葉でボーディといい、漢字では菩提と表します。従いまして、お釈迦様が菩提を得た場所に因んで、アシュヴァッタ樹を菩提樹といいます。その場所はインド宗教の聖地ガヤの郊外で、ブッダのガヤという意味からブッダガヤーと呼ばれています。
仏教の教えとは時代を問わず普遍的なもので、お釈迦様以前のはるか昔より法が説かれ続けたという考えがあり、それはお釈迦様以前のブッダ(仏陀)によってなされたと考えられています。それらを「過去七仏(かこしちぶつ)」といいます。お釈迦様を含めて七仏ですが、その6人とは毘婆尸仏(びばしぶつ)、尸棄仏(しきぶつ)、毘舎浮仏(びしゃぶつ)、拘留孫仏(くるそんぶつ)、拘那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)、迦葉仏(かしょうぶつ)です。
「過去七仏(かこしちぶつ)」が共通に伝えたといわれる教えの詩があり、それは「七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)」といいます。これは仏教の思想を一偈に要約したものと考えられていて、今日でも広く誦唱されています。それは「諸悪莫作(しょあくまくさ)、衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)、自浄其意(じじょうごい)、是諸仏教(ぜしょぶっきょう)」の四句から成り立ちます。意味としては「もろもろの悪をなすことなく、もろもろの善を行い、みずからの心を浄めること、これが諸仏の教えである」となります。
過去へのイメージが反転して、未来にも人々を救うブッダ(仏陀)が現れるという信仰が生み出されました。未来仏として最も信仰を集めたのは弥勒菩薩です。
弥勒菩薩は現在は兜率天(とそつてん)に住み、遠い未来(56億7000万年後)にお釈迦様の救いに出会わなかった衆生までをも救うために降りてくると信じられています。