仏陀であるお釈迦様はどのような修行をして悟りを開いたのでしょうか。修行とはどういった行為でしょうか。その意義とは何でしょうか。
お釈迦様は聖なるものの探求のために出家をし、菩提樹の下で悟りを開き、覚者となりました。そして80歳で入滅するまでひたすら聖なるものの探求を行いました。そして悟りを開いて覚者となってもなお悟りを求め続けました。悟りを開いたあとも永遠の修行者であったあったということであります。
そもそも修行とは仏教では悟りを求める心を発し、その目的のために修行をし、その結果として悟りを開けるとされます。自己の完成に近づくために自らの行いを正し修めることであります。しかし修行の内容は時代によって宗派や地域によっても違いがあります。
お釈迦様は出家をしてから二人の師についたといわれています。アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマップタです。一点に集中し、心を静める瞑想であるサマタ瞑想を指導されたそうですが、残念ながら解脱には至らなかったようです。
解脱には至りませんでしたので、次は苦行に取り組んだとされています。詳しくは明らかになってはおられないようですが、断食や自らの息を限界まで止める修行などの苦行を行ったとされています。現代でもインド全域やネパールなどではサドゥーという行者がたくさんおられます。
こうした苦行を6年にも及びましたが、またしても結局解脱には至りませんでした。 6年の凄まじい苦行をした後、難行苦行では悟ることができないと知って、ナイランジャーナ河、「尼連禅河 (にれんぜんが)」で沐浴をしました。そこを通りかかった村娘のスジャータに乳粥を頂き、元気をとりもどしたという伝説があります。そしてブッダガヤーの菩提樹の木の下で深い瞑想に入り、ついに悟りを開きました。 あらゆる仏教の修行は三学(さんがく)からなり仏道を修行するものは必ず修めるべき三つの基本的な修行の項目です。
三学(さんがく)とは戒・定・慧(かい・じょう・え)の三つのことです。
戒とは仏教徒が守らなければならない決まりのことで、仏道修行の土台となります。身口意(しんくい)の三悪を止め善を修することです。
定の修行とは、自己の心身を静め、心を統一させ気持ちが乱れない状態をつくることです。
慧とは現象を観察し智慧を養うことです。戒と定の修行を行うことによって育む智慧のことであります。
これら戒・定・慧(かい・じょう・え)の三者は、戒を守り生活を正すことによって定を助け、禅定の澄んだ心によって智慧をおこし、智慧は真理を悟らせ悪を断つことができ、生活が正されて仏道を完成させます。三者の修行を通して仏教は体現されますので基本的学であるとされ、三学を学ぶことにより、お釈迦様の到達した悟りに至ることができるとされています。