仏像を見てみると、様々なお姿や、指で何かポーズをしています。これは何か意味や規則性があるのでしょうか。
指で会話をすることはというと手話を思い起こします。我々は口で話すことが出来なくても指や動作を使って会話をする事ができます。
しかし手話の専門知識や経験がなくとも我々は日常的に手で相手と会話しようとしています。
例えば、手を手前に何度も振ると、こちらに来てという意味になりますし、別れ際に手を振ると、さよならを意味します。また海外に行って、実際に言葉が通じなくともボディーランゲージで相手にこちらの意図した意味を通じる場合があります。

仏像は物理的に動いたり、話しかけてくるわけではありませんが、我々に何か話していたり、教えていたりします。その内容は手のポーズを使って行っております。
仏像の手の形は、仏によって色々な種類があり、サンスクリット語でムドラーといい、印相(いんそう・いんぞう)、印契(いんげい)、あるいは単に印(いん)ともよばれます。インドには古くから手の仕草で気持ちを伝える習慣があり、またインドの伝統舞踊に見る多くの手の動きや表現の要素なども加えられているようです。手や指の動きはお釈迦様の説法や瞑想をしている時の手ぶりが元になっていて、仏像の功徳や働きなどを象徴し、我々にどう働きかけてくれるのかを表現してくださいます。
また印(いん)によっては見ただけで仏像の種類を特定できるものもあります。
「釈迦の五印」は根本五印ともいい、説法印(せっぽういん)、施無畏印(せむいいん)、与願印(よがんいん)、禅定印(ぜんじょういん)、降魔印(触地印)の五つがあります。
説法印(せっぽういん)は転法輪印(てんぽうりんいん)ともいい、お釈迦様が説法をされている手の形を表しています。いくつかの印(いん)があります。施無畏印(せむいいん)は右手の掌を前に向けた形で、怖がらないでいいですよと、人々の畏れを取り除くという印(いん)です。与願印(よがんいん)は指先を下にして前に向けた形で、人々の願いを叶え、望むものを与えるという印(いん)です。
禅定印(ぜんじょういん)は左手の掌の上に右手を重ねて、両親指を軽く触れ合わせている形です。お釈迦様が瞑想している時の形からきています。降魔印(触地印)は坐像の時に左手で指先で地面を触れている形です。お釈迦様が瞑想中に魔を指先に地面を触れることで退けたという逸話に由来しています。
仏像の手の形(印)は、それだけでは何の仏かを判別することは不可能な場合も多くありますが、仏を見分ける点やその働きを示す大事なポイントですので、どのような種類なのか注目していただくと良いと思います。またその表現は仏像鑑賞において非常に美しく魅力的であるといえます。