日々、何の気なしに日常的に用いている言葉の中に、仏教用語はたくさんあります。それだけ仏教が民衆に根付いているということですが、一体どんな言葉があるでしょうか。その中には、この言葉が仏教用語であったのか知らなかったという言葉もあるかと思います。これから追っていきたいと思います。
縁起という言葉を聞いたことがあると思います。一般に「縁起をかつぐ」「縁起がよい」「縁起絵巻」などと使われますが、仏教本来の考え方とは違います。縁起とは仏教の根本理念です。
縁起とは文字通り、他のあるものに縁って起こるという意味で、すべてのことは互いに関係しあって存在していることを意味します。言い換えると他のある物に依存して成り立っているということです。例えば植物は種をまくことによって成長していき、花を咲かせます。それには種があって、日光や水や土などの条件が必要となります。 普段用いている意味とは全然違いますね。
我慢という言葉は、一般的には自分自身を抑制し、忍耐するという意味で用いられます。耐え忍ぶことは日本人の美徳ともいわれますが、もともとは我慢という言葉は仏教用語で、自己にとらわれて、おごることを指します。
「慢」とは仏教では六つの根本煩悩の一つで、自分自身を他人よりも優れていると考え、他を軽蔑する心です。「三慢」「七慢」「八慢」「九慢」などが説かれますが、我慢は「七慢」の一つに説かれます。
輪廻の六つの世界に六道という世界があります。それぞれ地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上です。この中の餓鬼道は常にお腹がすいていてガツガツしている様子から、子供の悪口として用いられています。
修羅場という言葉は常に戦いにあけくれている修羅道からきています。
「この馬鹿!ひどい人ね。奈落の底に沈みなさい」という一文があるとします。恐ろしい文章ですが、最初の「馬鹿」は無明という意味で、サンスクリット語のモーハの音写「莫迦(ばか)」からきています。「ひどい」は仏の道から外れた非道からきています。奈落とは地獄の意味で、サンスクリット語のナラーカからきています。こんな一文に仏教用語が三つもありました。
有頂天とは帝釈天が住しておられる忉利天(とうりてん)という所ですが、欲界、色界、無色界という仏教が説く三つの世界の一番上の世界である無色界の頂点に位置する場所のことです。よく施餓鬼供養の時には三界萬霊という全ての世界の霊を供養するために位牌を祀ったりします。
瓦とは屋根に必要な材料ですが、もともとはサンスクリット語でカパーラといい、焼き物や器、頭蓋骨を意味します。チベット仏教でもカパーラという密教法具を用います。
いかがでしたでしょうか。何の気なしに用いていても、この言葉がもともとは仏教用語であったとはという言葉があったかと思います。
上記の言葉はほんのごく一部ですので、皆様自身で是非お調べになってください。