ゴータマ・シッダールタは2,500年前に現在のネパールのルンビニーという所で生まれ、29歳の時、王宮を抜け出して出家をし、35歳の時に悟りを開かれました。以後45年間説法の旅に出ました。
80歳に達した釈迦は弟子のアーナンダを連れて最後の説法の旅を続けました。そしてある村の、チュンダという者に法を説きました。その御礼としてお釈迦様に自宅へと食事を供養しました。
その食事とは、キノコであったという説と、柔らかい豚肉であったという説があります。当時の出家者はある条件下においては在家者から施された肉は食べてもかまわないということでした。何故なら出家者への食物の布施は、在家信者が功徳を積む大きな機会であるので、そういった貴重な機会を奪ってはいけないとされたからのようです。
すると食後に急に激しい下痢に襲われてしまいました。しかしそのことによってチュンダが非難されないようにと、チュンダの供養を特に功徳のあるものだと称えました。そして苦しみながらもクシナガラという村の二本に並んだ沙羅双樹の間に横になりました。涅槃の姿はよく「頭北面西(ずぼくめんさい)」といわれます。これは頭を北にし、顔を西に向けた横臥法で、インドでは最上の横臥法と考えられているそうです。日本では死者を北枕にする習俗が今なお行われていますが、ここにその由来があります。
釈迦が死んでしまうことを悲しむアーナンダに釈迦は人はいつかは死ぬものであるから冷静になりなさいといいました。そして説法を聞きたい修行者が来ると、疑問に答えて懇切丁寧に教えを説きました。
そして最後に、「もろもろの事象は過ぎ去るものなので、自らの努力を拠り所として修行に励むように」と言い残して80年の生涯を閉じました。お釈迦様が亡くなられたのは、まさにこの世が諸行無常であることほかなりません。
時間は止まることなく一瞬一瞬が過ぎ、過去に戻ることは決して出来ません。明日の命の保証は出来ませんし、あす何が起こるのかもわかりません。我々は命は有限であるのにも関わらず、それを常住なものと錯覚して生きております。いつかは必ず死に、それがいつかはわからないのです。明日でもいいやという気持ちを持って修行をおろそかにしてはいけません。ですので弟子たちに修行に邁進するようにと促され、今生で修行を完成し、解脱にいたりなさいと説かれました。最後の言葉は短いものでしたが、世の中をどのように捉えるのか、今何をすべきなのかを凝縮して語られております。