釈迦如来であるお釈迦様は、出家後、6年の凄まじい苦行をした後、難行苦行では悟ることができないと知って、現在のインド、ブッダガヤーの菩提樹の下で深い瞑想に入りついに悟りを開き、仏陀・目覚めた人となられたました。従いまして、釈迦如来像は、禅定の相であります。お釈迦様は、決して人の言葉や説明をきいて悟りを開いたのではなく、深い瞑想をして天地宇宙の声を聞き悟りを開かれたのではないでしょうか。
このことからも仏教において瞑想とは非常に大事なものです。
座禅をする時には半眼と言って、目を開けているのでも閉じているのでもない状態のことをいいます。開けてしまうと心が乱れ、閉じてしまうと眠気が襲って来ることから半眼にします。全ての仏像が半眼ではなく、その仏像の種類によって目を見開いていたりだとか違いがあります。
仏像がどういう力を持って、私たちにどう働きかけてくれるのかは印相(いんそう)によって伝えてくれています。
仏像の手の形は、仏によって色々な種類があり、サンスクリット語でムドラーといい、印相(いんそう・いんぞう)、印契(いんげい)、あるいは単に印(いん)ともよばれます。印契(いんげい)は手印(しゅいん)と契印(けいいん)の二種に分けられます。手印(しゅいん)は仏様が両手で結ぶ印によって、その性格や誓願などを表します。契印(けいいん)とは金剛杵(こんごうしょ)や蓮華、刀剣などの持物のことをいいます。印相(いんそう)とは手印(しゅいん)のかたちを意味します。インドには古くから手の仕草で気持ちを伝える習慣があり、またインドの伝統舞踊に見る多くの手の動きや表現の要素なども加えられているようです。
手や指の動きはお釈迦様の説法や瞑想をしている時の手ぶりが元になっていて、仏像の功徳や働きなどを象徴し、我々にどう働きかけてくれるのかを表現してくださいます。また印(いん)によっては見ただけで仏像の種類を特定できるものもあります。
「釈迦の五印」は根本五印ともいい、説法印(せっぽういん)、施無畏印(せむいいん)、与願印(よがんいん)、禅定印(ぜんじょういん)、降魔印(触地印)の五つがあります。
その中の禅定印(ぜんじょういん)は左手の掌の上に右手を重ねて、両親指を軽く触れ合わせている形です。お釈迦様が瞑想している時の形からきています。